アリとキリギリスの話で屁理屈を考える。
その昔、いや今でもわりとその傾向があるなあと思うがボクは一石二鳥的な選択肢を選びとるのが好きだった。
2つの選択肢を目の前に並べられるとどうにかして両方を得られないものかと頭をひねるのだ。
そうするとどっちか片方を選ぶよりもちょっと難しいんだけど実質両方取れるような方法を見つけてどうにかする。
まあ、それでうまくいくならいいんだけど、それってやっぱりちょっと難しいよね。
あと、そうやってうまいことやってくとまじめにこつこつやる力がつかない。
だから最近は地道にこつこつやるっていうのが良いよなあと思ってるのだけど、昔こねた屁理屈を紹介する。
アリは大変な仕事を毎日こつこつがんばって、冬に食べるものがあってめでたしめでたし。キリギリスは毎日遊んで暮らしてて冬になったら死にそうになって、みたいな話だったと思うけど、当時のボクはこれはそう単純な話じゃないと思った。
アリは毎日苦労をして過ごしているうちに途中で死んじゃうかもしれないし、キリギリスはもしかしたら最後まで一生楽しく遊んで暮らして幸せに人生を終えるかもしれない。
だから、この話はどっちがいいかという話ではなくて、一番いいのはキリギリスのように毎日楽しく暮らしていた結果、アリがこつこつやって出したような成果も出すことだ。
こんなようなことを考えた。
そこで思いついたのは、子供が遊んでいるときに感じるように楽しい仕事を素晴らしい仲間とともにやっていたら結果的に社会にものすごく貢献して豊かに暮らせる。
こんなふうに機能する仕組みをうまいこと構築・設置・運用されている世界が理想世界だ、なんて考えていた。
まあ、今では世の中そんな甘いもんじゃないよね、と思いつつももしかしてそんなふうに考える人が自分以外にもいたらちょっとはそんな世界に近づくかもしれないと思って書いてみた。
P.S.もしかしたらアリがキリギリスを最終的には助けてこれは愛の話だったのかもしれないけど、今回書きたかったことはそれ以前の話、つまり愛することに目覚めた大人ではなく、愛されることを求める子供ばかりでも成立する理想世界の話だ。